karaagetolemonのブログ

だいたい眠い

檸檬日記*20230528

今年に入ってからの諸々、感想文とかを残しておこうかなと思い立ったので、久しぶりに日記を書きます。いつもだらだらと長くなり過ぎて自分でうんざりしちゃうから、気を付ける。投稿の一部分だけが意図しない形で伸びたりすることがあって、居心地の悪さを覚えるようになったのでTwitterではあまり感想を残さないようになった。作品の感想になるので、ネタバレを避けたいひとは飛ばしてください。("ネタバレ"以外の言葉を見つけたいとずっと思っているのに未だに見つからない。ネタというか……になるんですよね、便宜上つかうけれど。)


・映画『THE FIRST SLAM DUNK』漫画『SLAM DUNK』:わたしは「チャームポイントは影響を受けやすいところ」で暮らしているので、TLの絶賛感想を信じて観てきました。動きや表情の滑らかさに驚いている間にあっという間に終了。試合に集中し過ぎるあまり、映画館で足を攣る不思議な体験をしましたよ。エンタメの力を肌で感じられてうれしかったし、素直な気持ちで楽しかった。うれしかったし楽しかったってどんな感想?とも思いますが、それでいいよね〜とも思う。ヤスが良い表情をしていて……『桐島、部活やめるってよ』の太賀くんくらい良い表情をしています。漫画を読んでから、井上さんは「瞬間」の煌めきを重視するのだなと倍で感じる。良くも悪くもなんだけど。わたしはずっと(どうして宮城くんはあんなに、あんなことがあってもなお、三井とチームメイトとして過ごせるんだろう)の気持ちが根底にあるんだけど、中学時代の「小学生?」「(中1だよっ)」1on1場面で兄と重なったあの一瞬が心の奥に残っているからじゃないかな?などと友人とは話した。でも気持ちとしては腑には落ちない……まぁ、三っちゃんチャーミングで憎めないからな、かわいいしな、と思うのも確か。そして安西先生が花道を棄権させなかったこと、花道の「栄光時代」の話には賛成できない。それもまた瞬間の話だよなと感じる。花道や木暮先輩の1本が勝敗に繋がったり、そういう瞬間の部分の美しさがあるため惹かれる気持ちもある。あとリョーちんの妹がずっと良かった、あの無邪気な姿が画面の中に居なかったら沖縄部分は観れなかったかも。……マイナス意見の比重が多くなってしまったけど、応援上映に行ったり団扇を自作してみたりするくらいには𝑳𝑶𝑽𝑬になっているよ。


・映画『そばかす』:基本的には好きだった時の感想を残しているつもりだけど「好きになれなかった」感情もちゃんと残しておきたいなと思う。安易に文字にしたら、きっと誰かを傷付けてしまうと思って表では言えなかったけれど、わたしはそばかすを好きにはなれなかった。三浦透子さんと前田敦子さんの演技は愛しくて大好き。幼稚園で紙芝居を披露することになって、"恋愛"が優先される/当然のものとして扱われる社会への違和感を描いたアレンジ版『シンデレラ』を発表するくだりに少しモヤモヤした。童話をアレンジしようと試みる姿には惹かれたし、親友と一緒に紙芝居を作っていくところは温かい気持ちで観ていたのだけど。発表時の振る舞いに対して「本当に?」と思って苦い顔になった。大切な作品として扱って欲しかったのに"サプライズ"的に披露される必要があったのだろうか、個人的な感情・体験を描いたはずの紙芝居を事前に周囲に伝えずに無防備な状態で披露できるほど佳純は"リアクション"を想像しないで突き進むようなひとなんだろうか……とぐるぐると考え始めたら辛くなって。その場面からはもうプツンと糸が切れたみたいな感覚で、離れたところから引きの映像で観ている心境だった。それでも、こういう作品が世の中に届けられるのは大切で 数がどんどん増えてほしいと思ってるから見守っていたい。複雑な気持ちのまま数ヶ月が経った。色々なひとの意見を聞きたい。


・映画『ケイコ 目を澄ませて』:三宅唱監督のことが好きなので、観た。すごく好きな映画だった。アマプラに来てるので是非。どんな障壁があるかを他人事として「大変だね」の視点で悲観的に捉えるのではなく、それらをどう日常として過ごしているのかを撮ってるところが良かった。鏡の前でコーチと並んでシャドーボクシングをする場面で、ジャケットの脇が破れてしまったのを見て「また(妻に)怒られちゃうよ」みたいに小さく笑いながら言うコーチが素敵だった。きっと、前にも何度か普段着のまま練習に付き添って破いたりしちゃってるんだなぁ、そういう瞬間を誰かと過ごしたんだなぁと過去の時間をじんわりと感じるような綺麗な光景だった。ドラマチックなものだけが物語ではないし、世の中は特別な存在ばかりではないことに安心させてもらえる。三宅監督は生活の光景を綺麗なものとして残してくれて好き。


・ドラマ『妖怪シェアハウス』:コメディ調のまま、各話で現代社会の暴力や差別構造について切り込んでいて良かった。フェミニズムに関する用語が組み込まれていたところも良かったな、頼もしい。妖怪達による「説明しよう」口調のおかげで、解説的になり過ぎて違和感が出てしまうことなく進むところも魅力的だった(もし違和感あったとしても説明してくれるならうれしい)。ここ数年は"連帯"や"シスターフッド"の言葉の使われ方に少し違和感や不信感を抱く場面もあるのだけど、妖怪シェアハウスの住人達の在り方はとても好きだった。小芝風花さん素敵ね〜と思って、そのあと『トクサツガガガ』を観たし現在進行形で『波よ聞いてくれ』も観てる。はやく『貞子DX』に辿り着きたいです。


・ドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』:観て良かった、観てほしい。割合は高くないけれど男性も妊娠をするようになった社会で"妊夫"となった主人公ケンタロウが、身体の変化と共に様々な不均等や理不尽に気が付いていく過程が描かれてる。妊娠・出産をめぐる問題だけではなく、マイノリティの立場(※妊夫の存在はまだ社会的認知度も低く偏見を持たれている設定)に向けられる視線、声を届ける難しさについても触れていたところが信頼できた。終盤に「僕達は誰も犠牲になっちゃだめだよ。全員の人生を大切にしたい」と伝えて、パートナーの夢やキャリアを尊重しようとする場面があって。その発言に至るまでの躓きや葛藤が描かれた先にある台詞で、おそらく物語の核となる大切なやりとりだったけど、どうしても"犠牲"の言葉が引っかかってしまい……しばらく悩んだ。宝物小説こと『スコーレNo.4』に、親戚から「あなたのお母さんは昔すごかったのよ」と過去形で言われて("母"になる選択は"母"個人から何かを奪ってしまったのだろうか)とショックを受ける描写があるんだけどね、そういう部分を思い出して複雑な気持ちにもなった。ある問題を物語として描く時に、実際にその選択をした/しているのかもしれない現実の誰かが傷付いてしまわないかを考えて苦しくなる。きりがないのは頭ではわかる。メインビジュアルの写真が公開された時点で、トランス嫌悪を含む文脈での炎上が起きていたとの話を少し聞いたので胸が痛む、というか腹が立つ。"物語"として扱っただけではなく このドラマの撮影現場に託児スペースを設置させたとのことで、その背景を含めて惹かれる。良い部分も迷う部分も、ちゃんと「わたし自身」の生活に残るドラマだったな。Netflix Japanはこういう作品をもっとサポートしてほしい。


・漫画『いやはや熱海くん』:すごく良かった、まだ1巻だけど既に大好き。そのひとがその考えを持っていて、そしてその言葉を選んであなたに届けた/届けなかった、の一連をどこまでも慎重に見つめている作品だなと思う。心からうれしい。言葉未満のものを大切に扱っている物語。自分の発言はデリカシー無かったかも、と考えてずっとぐるぐると自己反省会をしてしまう子の「自己嫌悪」の感じとかたまらなくて涙出る。起承転結を焦らない会話があると安心する。それぞれが「言葉を発するまで」に何を考えているのかなんて、誰にも知りようがないから だから怖いし大切にしたいよねぇと頷いたり。……この作品とは別かもしれないけど、例えば、会話の途中で何か発見があって途絶えてしまった時に「それでね、」って話を続けてくれるひとのことが好きだし聞く側だったなら「〜だったっけ?」と続けられるひとでいたい。いつも出来なくてもいいから、できる時に頑張りたい。宙ぶらりんになる会話や感情は目に見えないから不安。


・漫画『煙たい話』:配り歩きたいくらい、とても好きだった。檸檬TMI、富豪になったらやりたいことリストに"好きな漫画を配り歩く"がある。誰かに対して「○○です」と明言できる関係性が当たり前とされる状態、何なんだろう。変だよなとは思いつつも、現実だなと思います。特別に親しかった訳ではない元クラスメイトと、猫を助けたのを機に少し距離が近くなり 一緒に暮らしはじめる物語(要約が下手…詳細は公式をどうぞ……)なんだけど、ふたりの「友達」では言い表せられない関係にわたしはすごく惹かれる。恋愛関係ではない男性ふたりの同居物語、初めて読むかも。幼馴染の女性から、ふたりで喫茶店に居る時に「例えばいまわたしと君がこうして2人で居るのを見たひとは、きっと私たちを恋人同士だと思うでしょう」みたいに言われる場面があるのだけど、その会話が印象的だったな。どう"見られて"いるかで関係性が形作られるの悲しい。街中で見かけた男女二人組の話をする時になるべく「カップル」と言わない/書かないようにしてるんだけど、そういう部分が拾われたような気持ちになれて勝手にうれしかった。


・漫画『アフターゴッド』『マイブロークンマリコ』:高島鈴さんの『布団の中から蜂起せよ』の中にマイブロークンマリコの話が出てきたので、漫画を購入して読みました(布団の中から〜も今年読んだ作品だけど、すごくすごく大切だったからまだ咀嚼できないしアウトプットが難しい)。良かった。友人から勧めてもらった『アフターゴッド』とほぼ同時期に読んだのも良かった気がする。両作とも、親友との悲しい別れがあるので重ねてしまう。家庭内暴力、恋人からの暴力を受けてきた親友を"同性の友人"の立場で支えたい 助けたい時、社会のシステムは何をどう手助けしてくれるだろうかと、やっぱりそこを考えずにはいられない。マイブロークン〜で、しぃちゃんが「あんたにはアタシが居たでしょうが」「一緒に死のうとも言ってくれなかった」と叫ぶ姿に、わたしも傷付く。血縁や戸籍に関わる繋がり以外の"大切な関係"に、選択肢と権利が増えてほしい。


・漫画『愛すべ娘たち』:実は読んだことがないまま過ごしてきた、よしながふみ先生作品をついに読んだ。初よしなが作品がこれで良かったと心底思う。各話に出てくる"娘"達の、言動の生々しさが飛び抜けてた。わたしは特に第4話が好きだったな。「家庭内の男女平等を実現したい」と話す中学生達の切実な言葉が、現代の、現在のわたしから見ても苦しい。「あたしは絶対民間で定年まで勤め上げようと思ってる。だって女にとってまだ働きづらい民間でがんばった方が後々の働く女の人のためになるでしょう」と話した子と、それを聞いてた子。この作品が2003年、つまり20年前に出ている事実にも締め付けられる。読んでほしいな。5年後、10年後、きっと人生の節々で思い出して振り返るだろうなと自分に対して思う。


・ドラマ『消えた初恋』:大橋和也さん歯が多くて可愛すぎる→なにわ男子を少し知りたい→大橋さんは出ていないけど、みんな(TL)が観てたドラマを観てみよう、の流れで視聴。よかったです、愛しい、かわいい。勘違いが連鎖してすれ違う描写とか王道ではあるのだけど、その王道な形式を持ちながら進むのが良かった。異性愛規範に沿った楽曲や物語が多い印象を受けるアイドル界にいるひと達が「それは偏見だ」と明言してくれる(それが演出された"台詞"だとしても)のは有り難いと思う。よく分からないけど定期的に挟まれる、クラスメイトの男女カップルの交流がかなり滑稽な感じで描かれていたのは気になったけれど。バレー部の子達に「生涯あたたかい気持ちで過ごしてほしい」と念を送っちゃうくらいに、バレー部の子達が最高。LINEの会話が変なのも良かったな〜宇宙人に連れ去られてなかった?


・映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(以下、ぬいしゃべ):大好きだった、宝物です。泣き顔&泣き声のままよろよろと買ったパンフレットを家に帰って読んでからまたおいおいと泣いた。「大丈夫じゃない」ことを受け止め合えるのがいいなと思う、けれどふたりがきっと白城を傷付けてもいたことからは目を逸らせない。だから、映画で着ぐるみのくだりが加わっていたのとかうれしかったんですよ。聴くCINRA(ウェブメディアCINRAが主催するポッドキャスト)に金子監督が出演されていた回、聴いてほしいな。「アロマンティック・アセクシュアルの物語ってまだまだ全然足りていなくて。七森はその言葉とは出会っていないけれども、恋愛しない大学生の表象としてこの作品は重要だと思っていて。そういったセクシュアリティの可視化にも繋がるような映画になればと思っていますね」と監督がおっしゃっていて。揺らぎのある状態のひとを描く物語でその「言葉」が使われない時、不安になることもあるけど線引きが難しいなと思う、いつも迷う。言及してくださってうれしかった。ぬいぐるみサークルのみんなが大好き。


・映画『いとみち』:ぬいしゃべの余韻に浸りつつ演者さん達の過去作に目を通していたところ、数年前に友人達が好きだと言っていた『いとみち』の主演が麦戸ちゃん(ぬいしゃべ登場人物のひとり)役の方だったと知ったので慌てて観た。すごく好きな映画だった、誠実さを感じる作品。色々な場面でわたしは「ずるい」と感じて怒ってしまうんだけど、そういうずるさを取り除いてる印象を受けた。本当は、数年前に友人達が好きだと言ってた時点でちゃんと観ていられたら良かったな。バイト先のメイド喫茶で客から痴漢された場面で、"その瞬間を映さない"撮り方をしていたのが本当に良かった。「誰か見ていたひとはいるのか?証明できるのか?」と逆ギレされながら物語は進むんだけど、観る側も物語の人間達と同様に「見た」かどうかは分からない状態にするのが特殊だと思った。店長や同僚が、証明できるかどうかよりも先にまず信じて怒ってくれて。こういう表現があるんだなぁとうれしくて涙でちゃった。誠実な作品だと思ったので好きな映画。いとが同級生の家で三味線を弾き始める光景、美しかった、大切。YouTubeに予告編が幾つかあるので観てほしい。黒川芽衣さんが出てる作品って全て良いですね。


・映画『東京卍リベンジャーズ2』(以下、東リベ):顔圧が凄いな〜よくこんな顔ぶれを集められるな〜何なんだこれは〜と軽い気持ちで観に行った結果、演技の熱量に圧倒されて好きになった。無防備な状態で観たから尚更、不意にこんな高揚感を得られて素直にうれしい。村上虹郎さんの振り切り方が素晴らしいので観て欲しいな、支離滅裂になっていく過程に説得力を持てるのって特別だと思いますよ。興奮が冷めなかったため、夜な夜なインタビュー映像や記事を片端から辿ってみたり。GWは主に東リベのインタビューを漁っていました。演者さん達がお互いを信頼しながら敬意を持って接していること、このタイミングで集まって作り上げた過程を含めて「創作」の誇りを持っていること、が各所の言動から伺えて観ていてこちらもうれしい気持ちになる。主演の北村匠海さんに面と向かって「持っている時間感覚が好きなんだと思う」と伝えていた山田裕貴さんとキラキラの目が眩しかった。思い出しても心がキュッとなる。やまゅさん、良いひと。映像作品から離れていたけれど、何だか数年ぶりに、俳優さんへの関心が高まりつつある良い春です。陰惨なシーンを何度も反復して映す点と、バイト先で執拗に童貞いじりが"笑い"として描かれる点は好きになれないしnot for meですが。村上虹郎さん𝑳𝑶𝑽𝑬になったので、ムビチケなるものを人生で初めて購入しました。


・ドラマ『僕の姉ちゃん』:東リベを観て「杉野遥亮さん………♡」になったので観た。温度感が心地よくて安心して観進められた。すき。こういうポカポカした作品が各クールに1つはあったらいいな。衣装もず〜っと素晴らしかったです。自分には出来ることがあまり無い、と悩む弟に「これだけはやらない」ことを決めておくというのもありじゃない?と提案する姉ちゃん。わたし個人にもリアルに響く言葉だったので、大事に反芻して自分のものにしたい。人生には趣味・特技・長所を聞かれたりする場面があるけど、ふざけずに答えられるものがわたしにはほとんど無くて。でも「思ってないことは言わない」を続けるために何とか頑張っている、つもり。何か特別に秀でている訳じゃなくても、「やらない何か」があるのを肯定してもらえると救われる。黒木華さん演じる"姉ちゃん"が、日々徒然かるたを即席で作っていく場面で「妻にはなっても嫁にはならん!」と大きな声で言ってたのとか良かった。愛しくて目頭きゅっと熱くなりましたよ。


・映画『殺さない彼と死なない彼女』:東リベを観て「間宮祥太朗さん………♡」になったので観た。こちらも、大切な映画体験になったのでとてもとてもうれしい。全編を自然光で撮影しているらしく、屋外シーンはいつもピントも光も揺らぐ間際という感じで その曖昧さも綺麗だった。「死ね」「殺す」が繰り返されるので、断片だけで捉えると肯定はできないけれど。それでも好き。寝ている鹿野の頬にキスをする場面について「寝ている子の唇を奪うのは"隙あり"感が出すぎるし、あまり誠意を感じない」と考えたから監督と相談して口ではなく頬へのキスにしたと間宮祥太朗さんがインタビューで話していて、このひと好きだなと思った。そういう「ずるい」部分を演者さん側も減らそうとしてくださるの、うれしい。キャピ子ちゃんと地味子ちゃんの会話、全て好きだったし脳内で何度でも反芻したい。綺麗なものを見せてもらえた気持ち。好きになること、好きでいること、好きになられること、好きじゃなくなること、個々の不安をどこかふわふわとした空気のまま切実に言葉に残してて良かった。良い映画かは分からないけど好きな映画だった。


・ドラマ『魔法のリノベ』:東リベを観て「間宮祥太朗さん………♡」になったうえに、ほくめろ(THE RAMPAGE from EXILE TRIBE吉野北人さん)が間宮祥太朗さんの弟役と聞いたので慌てて観た。ふざけた動機と軽い気持ちで観たけれど、とても良いドラマだった。工務店の営業として働く小梅と玄之介が、タッグを組んで住宅リノベーションの依頼を引き受けていくの。初めてふたり一緒に依頼主さんの家に行った時、"夫"のみに名刺を渡して"妻"には渡さなかった玄之介に向かって「0点です」と小梅さんがブチ切れていたのとかグッときた。小梅さんの実家をリノベーションする回では、家庭内の家事分担がされていない 母の負担が高いと指摘していたり。わたしの中で池辺葵さんの『プリンセスメゾン』は宝物漫画のひとつなんだけど、少し重なる部分がある。女性ひとりでマンションを購入+リノベーションを決心する話とか。少し前に読んだ『エトセトラ』の「アイドル、労働、リップ」特集号の編集後記で、鈴木みのりさんが『魔法のリノベ』6話について触れていたので更にうれしい。

 

・ドラマ『今際の国のアリス』:東リベを観て「村上虹郎さん………♡」になったので観た。友人からの推薦。東リベ同様に、村上虹郎さんが画面に居ると緊張感が出て最高〜だった。沸点を急に飛び越えて崩れていった一虎(東リベ)を観た直後に、全体像を静かに見渡しながら飄々と生きながらえていく聡明なチシヤを観たので、振り幅にも最高〜〜になった。最高!諸々ツッコミどころ多過ぎるし、頭脳・体力・関係性が大切とは言え結果のところ主要キャラのほとんどは運で残ってるよねと思うし(運も大事だけど)、ドラマとして好きだったかと言うと首を傾げるんだけど……登場人物の多くが「個人」としての振る舞いをしてたところは好きだった。生き死にの問題だから個を出さずに居られない状況なのだろうとは思うけど。自らの意思で進む主体的な女性キャラがたくさん居たのも良かった、アンとクイナがお互いに信頼を高めていく流れとかメロメロになっちゃいますからね。女性達の撮り方に所謂"ラッキースケベ"的な気配を感じてしまうことも複数回あり、それにはヴッとなる。あと全体像が明らかになる最終話は好きになれなかった。その回がと言うか、それが根底にあるなら物語全体を好きと言うのは難しい。震災の多いこの国で、無責任なことを……と思ったり。超頭が良いけどヤバい人達が超お金持ちだけどヤバい達と一緒に他の星に移住したので地球はもうデスゲーム会場にしました、とかの方が割り切れたかな。


・映画『私をくいとめて』:のんちゃん、映ることを続けてくれてありがとう……輝く存在。眩しい!画面に居てくれるだけでうれしい存在って、たいせつ。ちょうど大前粟生さんの小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』『おもろい以外いらんねん』を続けて読んだ直後に観たこともあって、映画の中で"女性芸人"が悲しい目に遭うところを観てボロボロになってしまった。心の中にいる「A」に向かって相談をしながら暮らすみつ子ちゃんが、この先パートナーとの生活を選んだとしてもおひとりさまを選んだとしても、そのままギリギリになる部分ごと肯定して暮らせたらいいなと思う。お付き合いを始めてからまだ日が浅い恋人と急遽ホテルで一泊することになって、距離のとり方でお互いが傷付く一連がものすごく良かった。なあなあになって流れてしまいそうな部分で立ち止まってくれるの心強い。合意を取るのって1番大切なはずなのに、ロマンティックで〜ムードで〜成り行きで〜いい感じに〜ときめきの延長で〜なんとなく、なんとなく「恋人だから」でスキップされてしまう。飛ばさずに怒っている姿をみて安心する。そういえば、『勝手にふるえてろ』の小説で(※映画ではそのシーンは無かった)二がタクシー運転手さんに対してとった態度が許せなくて「他の99を好きでも嫌いになる1ってあるよね」みたいなトゲトゲの気持ちになったんだけど、『私をくいとめて』でのレンタカー内でのやりとりもキツかった。綿谷りさ作品、車にまつわる嫌な態度のリアリティやばいな〜みたいな気持ちに(※レンタカーのくだりが原作にもあるのかは分からない)。ここ数年で観たエンドロールの中で特に好きだった!大瀧詠一って最高。


まだ文字には起こせないけど、慎重に読み進めた『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』と『布団の中から蜂起せよ: アナーカ・フェミニズムのための断章』の2冊も大切。感情だけの話ではなく"構造"の問題に目を向けるために、教育や報道が変化していく必要があると改めて思う。

 

 

何だか全然だらだらと長かった、短くまとめるのって難しい。念の為ゆるりと読み返してみたところ、わたしは「うれしい」気持ちや安心感を大事に選んだり好んだりしてて 自分のそういうところ好きだよ〜と思った。コンサートやリリイベに足を運び、登山やピクニックをして元気にすくすく暮らしております。気圧でぐにゃぐにゃな日が続いたり急に暑かったり、振り回される日々が続きますが皆さんもご自愛くださいね。ラブリーにお過ごしください。『東京卍リベンジャーズ2』の後編-決戦-は6月30日に公開されますので、何卒よろしくお願いいたします。

檸檬日記*20221224

「北海道出身だから秋服の概念が分からないんですよね、何を着てればいいんですか?」と言い続けて数年が経っているので、北海道出身とか関係なくただわたしが分からないだけなのかもしれません。同じ系統で言うと、わたしは「北海道出身で雪浴びてたから小雨くらいなら傘をさす必要を感じないんですよね、やがて乾くので……」とか言ってしまう。でもこの2年程は、"さすべきタイミングで傘をさせるようにする"が自分のちいさなテーマなので、なるべく折り畳み傘を持ち歩けるように頑張っている。そういうサイズ感の"頑張っている"がたくさんあって、毎日えらいね〜とわたしはわたしに対して思っています。来年は天気予報を確認できるようになる、を目標に追加したい檸檬です。秋服がわからないまま冬です、今年もそろそろ終わりに近づいていますね。


季節の挨拶をうまくできたことない。上記は季節の挨拶の代わりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。残しておきたいメモのような記憶の断片が積もってきたので、最近の出来事や感想をまた羅列します。時系列はバラバラですが、秋以降のことを。


・慣れない路線に乗ったら迷子になって大焦りしながら、THE BOYZのコンサートへ。め〜ちゃくちゃ良かった、やっぱり1人で行くと興奮や感動を即座にアウトプット出来ないので誰かと行くのがいいな……に着地する。今度は誰かと行きたい。声にしてアウトプット出来ず噛みしめ飲み込んでたから帰路のわたしは湯気出てたと思う。会場で流れる映像やMCを含め、全編通して「エリックも居るよ!」という意思を強く感じて、優しいチームだなと胸打たれていた。「THE B(ファン)のこと、歌うことと同じくらい好きだよ」と言ってくださるニューさんに対して、他メンバーが「僕はドビの方が好きだよ!」みたいに重ねて少しからかったけど(意地悪な感じではなく)、そこには乗らないところも良かったな。去年かな?自分達の成長の理由を聞かれた際に「100%僕たちの努力だ」と答えたら非難の声が集まったらしくて、それがずっと小骨みたいに引っかかってる。"ファンのおかげ"はもちろん、それもあるけど そのファンの心を掴んでゆくのは本人達の魅力と努力なのだからとわたしは思うので「あなたの努力ですよ」の気持ち。アイドル文化にちょっと疲れてきてたけど、THE BOYZの空気感を観たら「アイドルになってくれてありがとう」の気持ちに改めてなったり。MCの間、みんなから離れた場所でほぼひと言も喋らずに静かに休んでいるニューさんと、きっと本当は周囲に合わせてはしゃいでもいられるだろうけどニューさんの側にじっと座っていてくれるジェイコブさんの姿がとてもとても良くて。ありがとう……と念じながら寝た。皆さん穏やかに無理なく、居心地良く安心して過ごせますように、遠くからゆるやかに応援していますね。「(次に進んでも)大丈夫ですか?」と言ったソヌさんに「大丈夫じゃない!」と返すニューさんも、大丈夫じゃないからみんな少し待っていてくれるのも良かった。


・以前も何度か同じような内容を呟いてはいるけれど、アイドルの体型変化に対してオタク側が良くも悪くも言及するのがとても苦手。居心地の悪さを覚えます。好きな私服スタイルを問われた時に「〜こういう組み合わせをすると身体が大きく見えるので」みたいに答えていたひとや、デビュー期の自分のビジュアルには心残りがある 頬が痩せ過ぎてしまった という旨の発言をされていたひととか。そういう言葉が印象に残ってる。体質だってそれぞれなんだからね。少し前に、モナ・アワドの『ファットガールをめぐる13の物語』を読んだ。試着室から出られなくて、スタッフさんからの「お手伝いしますか?」に返事も出来ず追い込まれて汗だくになる"ファットガール"の心の揺れ方や孤独感、苛立ちに切なくなる。YouTubeSNSで骨格タイプやPCの印象が"ジャッジ"の材料や自虐要素にすり替えられている感じとかも、ずっと居心地が悪い。身体が誰かの視線や言葉によって捉われていくのは悲しい。KID FRESINO×NENE(ゆるふわギャング)の『Arcade』が大好き、人生ソングにしてる。"まじで周りばっか気にしてんじゃないよbitches 狭いここじゃlipple life 超tight 伝え目と声で白ティーノーブラ time is money 比べるやつstupid 自分の価値remember freedomが正解"ですからね。


・ことし読んだ漫画作品では、近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』と冬野梅子さんの『まじめな会社員』が印象的でした。すごく好き、ひとが勧めてるものはちゃんと読もうと改めて思った。A太郎やあみこちゃんのこと、ずっと大切に想い続けるだろうな。A子さんの中で、麦茶を常備しているようなところが好きだった。まじめな会社員の中で、メールの文面を作る時になにをどのように考えて入力しているかの描写があって、リアル過ぎてしんどくもあったけど好きだった。そういえば、近藤さん作品を勧めてくれた友達にA子さんの感想を伝えた日の帰り、どんな流れでそうなったのかは思い出せないけど「コンクリート打ちっぱなしの建物をかっこいいと思ったのが先なのか、かっこいいと知ってからコンクリート打ちっぱなしをかっこいいと思ったのか分からないんだよ」って話になって頷きあったりしたの良い時間だったな。「センスがいい」って言葉をあまり軽々と言わないようにしてるんだけどね、センスが先にあったのか逆なのか分からないし何を持って"いい"のか……とか、そういう。物語そのものから少し離れて、抱いた感情とその周辺の記憶とかを共有できる相手いるの幸せ。来年はもう少し漫画作品も読みたいな。


・11月末は、TREASUREを観に北海道へ。久しぶりに札幌に行けてうれしい〜高校時代の3年間を過ごした街。道が広くてベンチとコインロッカーが多くて迷子になりにくくてごはんが美味しい、有り難い街。札幌だいすき。会ってみたかった初めましてのひとにも、なかなか会えなかったひと達にも会えて良かった。春頃から4ヶ月ほど観ていて チケットも慌てて取って遠征するぞ!と意気込むほど「す〜ごい好き!」になっていたところで、8月の件(メンバーによる差別発言⇒事務所の隠蔽⇒痛みを声にしたひとに対し、一部ファンが二次加害を繰り返す⇒事務所が放置、という最悪な流れの出来事)が起きて、悲しかった。8〜9月は浮き沈みが激しかった。でも好きになってしまったから、もうどうしたらいいんだ……になっていたし、その気持ちはいまもある。"対価を支払う"行為は賛同の意味も含むと思うから……とぐるぐる迷いながらも結局うまく割り切れずに過ごしていたけど、せめて一度は観たいやになったので観に行った。生バンド演奏で音がデカくて良かった、パフォーマンスにおける技術も華も空気の掴み方も素晴らしくって。だから尚更、まだ好きでいたかったよ〜……の気持ちで大泣き。わたしは、小4くらいの頃に読んだ梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』にある台詞「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」をずっと大切にしている。わたしはシロクマなのでいったん離れることにしますが、本当は「好きでいる」感情と「問題点から目を逸らさない」姿勢を両立できるのがよかった、の気持ちがいまも続いてる。折坂悠太さん×butajiさんの『トーチ』のことを考えながら寝た。わたしだけではないと思う、せめて考えることは辞めないようにしたい。


・札幌の話のつづき。15歳の頃からずっとお互い大切に想い合っている、大好きな子と久しぶりに会えた。𝑳𝑶𝑽𝑬……。夜ごはんを食べて、次の日のモーニングも一緒に食べたの。わたしが爪を金色に塗っていたのを見て、翌朝にはわざわざ爪の色を銀色に塗り直して会いに来てくれたりして……苦しいくらいにキュンとする。人生、友情よりも恋愛の方が立派で意味のあるものように扱われることが多くて腹が立つんだけどね、やっぱり、改めて腹が立つ。あの子の指先の銀色がどんなに愛しいものか分からないでしょうね と思う。お互いに大丈夫でいようね、と伝え合う関係。そういえば、我らがDIVA・ゆっきゅんが最近始めたポッドキャスト『なんかドリンクバー5時間目』が最高なんですけどね、特に「#5 友情DIVA……」回が好きだった。クィアな存在にとっても"自分の曲"として疎外感を抱くことなく聴いていられるから嬉しい、というファンからの意見を受けて「なるほどなと思う」と(わかる、とかではなく「なるほどな」と言うところも好きだった)。J-POPだと恋愛の曲が多いから友情の曲はすごく貴重だ、というコメントをもらった時のことを「気付いた、気付いたんですよ。自分は血眼で、無意識で血眼で、歌姫とかの歌でも友情とかを歌ってる歌を好んで聴いてきたなって、気付かされて」と振り返っていたのも好き。友情の曲として柴田聡子の『スプライト・フォー・ユー』を紹介していたのでほろほろ泣いてしまったよ。無意識で血眼で探している感覚、身に覚えがある。エンタメが"大衆性"を持てるのなら、やっぱり"数"として、拡散力を持ってる存在して、ちゃんと見える形になっていくため側に立ってほしいんですよね。


・いっそひと思いに、直近の聴きにいったものの話をまとめてみようかな。これだけで長い。Twitterに感想とかさ、何だか書きにくくなっちゃったので……。11/30はjoan日本公演に駆け込んだ。念願です、来てくれて本当にありがとう。1曲目のsomething specialから、客席みんなが"I know we got something special "と口ずさんでニコニコしている光景をみて胸いっぱになり大泣き。友人関係から恋心に変化する戸惑いとかを含めて歌ってくれるひとがいるのうれしいんですよね。その関係がなんであったとしても"I know we got something special "って言われたいですね。めちゃくちゃ良いライブだったので、代官山の夜道をおえおえ言いながら泣いて歩いてた。/12/1は小山田壮平さんのワンマンへ。仕事終わりにダッシュして向かってみたものの間に合わず、途中からの参加になった。会場に着いた時に始まったのが『16』だったので、席に着く頃にはもう泣きべそかいてた。人生でいちばん大事な曲なので。松居大悟監督の『自分のことばかりで情けなくなるよ』を思い出す瞬間だったな。「僕のつくる曲は、意味のないような歌詞なことが多いけど、実は意味がある場合もあるんですよ」と前置いてから、珍しく歌詞について教えてくださる場面があって愛おしかった。意味がなく聴こえてもよしとする空気感に安心する。/12/4 カネコアヤノさんのBLUE NOTE公演に、友人とふたりで。普段はジャズを演っているような会場ということもあり、ちょっぴり背伸びしたくなっちゃう緊張感もあってそれもまた良かった。「もうだめだ」と思うほど決定的に好きになったきっかけの曲でもある『やさしい生活』を聴けて、心底うれしかった。「もう少し大丈夫になったら、」と少し先の日々を想う歌。2022年のいま聴くと、意味がほどけて変化していくようだった。『栄えた街の』がよすがに収録されたこと、宝物な出来事ですよと改めて思う。普遍的なところを好いてきたしそれは変わらないけど「今年はもうきっと何処へも行けない」から始まる曲が出来たことで、時間軸がうまれた気がしてうれしかったんですよね。君と旅行に行ったりしたいよね。/12/12には、ゆうらん船×BROTHER SUN SISTER MOONのツーマンを観に新代田FEVERに行った。久しぶりのFEVER!コロナ禍前さいごに行ったライブもここだったな(GEZANのマヒトゥさん×Have a Nice Day!の浅見さんツーマン)。昨年末からたくさん慰められてきた、大切なポッドキャスト『Call If You Need Me』のホストのひとりが、BROTHER SUN SISTER MOONの恵さん。恵さんは『99%のためのフェミニズム宣言』の和訳を担当されている翻訳者さんでもあるので、言葉を信頼している存在です。Call〜でも「恋愛の曲が多過ぎる」って話題があって安心してた。その時に、恵さんが「たくさんの感情の中のひとつ」として描くことはあるけど、"主題"を恋愛にしようと意識したことはないとおっしゃっていて。身を委ねられる音楽があるのは支えだな〜と思いながら帰った。ゆうらん船のことは、ほどよい距離で年に数回は聴きに行けてる。大好き。この日は演奏されなかったけど「まだまだ涙は続くよね」とか「最近どうにも涙」みたいなことを歌い続けてくださっていて。身体のこわばっている部分を少しずつ柔らかくしてもらえるような音楽。BROTHER SUN SISTER MOONのメンバーがゆうらん船の音楽を「水みたいな音楽、染み染みに入っていく感じ」と表現していて心の中でハグした。………長いな、いったんここまで(12/19時点)。いつまでもライブハウスが大好きよ。


K-POPを聴くようになってから、元から好んでいた音楽とは異なる部分を楽しんでいるけど違和感にのまれて疲れちゃうこともある。直近だとLDHも聴いてるので、やっぱりどうしても歌詞の意味を頭で追えると倍で悩んでしまう。自動ドアに反応されなくて悲しい〜とか、自動改札機に引っかかる時の音もっと優しいのに変えてほしい〜とか、PayPayの音が鳴るの恥ずかしくて耐えられない〜とか、もっといろいろあるじゃんねと思っちゃう。歌詞を意識せずにいられたらいいのだけど、と友人に相談していた時に「それでも、(歌詞が)言葉として存在しているなら、言葉はちゃんと大事にされてほしいよ」と返してもらえてうれしかった。言葉として存在しているなら大事にされてほしいの、同感です。どうでもいいこと言っててくれるのもうれしい。Olivia Rodrigo『good 4 u』のカバー映像を出したP1Harmonyが、歌詞に含まれる"girl"など性別を特定する単語を"one"や"love"に置き換えていたこと、ずっと大切。


・藤高和輝さんが『〈トラブル〉としてのフェミニズム-「とり乱させない抑圧」に抗して』の中で引用していた、竹村和子さんの言葉が印象に残ってる。"翻訳をとおしてわたしたちは、二つの言語の「あいだ」に身を置き、両者の還元不可能な非連続に身を晒して、そうして、各々の言語の内的非連続-言語の暴力と苦悩-に対峙していくのではないかと思います。(『境界を撹乱する-性・生・暴力』/394)" と。異なる言語を挟んだ場面じゃなくても、誰かの言葉や考えを100%で分かるなんてことほとんどあり得ないと思っているので。少し前に読んだ斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』も素晴らしかった。わたしは翻訳家さんが書く文章への憧れがあります。あと今年は、読もう読もうと言い続けて先延ばしにしてきた藤本和子さんの『塩を食う女たち』をようやく読めたのも良かったな。例えば、差別を批判するために(それが善意からくる発言なのだとしても)「肌の色くらいで、」みたいな表現をマジョリティの立場がとってしまうと、実際に存在している差別を矮小化させてしまうのではないかとかそういうことを考えてた。……今年はゆっくり少しずつだけどいい並びで読書が出来た。わーい、偉い。80年代のアメリカで、黒人女性を対象に聞き取りをしてきた藤本和子さんの『ブルースだってただの唄』を読んだのは昨年ですが、解説(※ちくま文庫版)は斎藤真理子さんが担当されてたんですよね。その繋がりも大好き。特に好きだったのは"なぜヘブライ語を?という誰もが持ちそうな質問に対して、藤本さんは「その行為を個人的な行きがかりや動機だけで説明しようとするのは、わたしにはあまり役に立つことだとは思えない」とはっきり言っていて、これは「なぜ韓国語(朝鮮語)を?」としょっちゅう聞かれる私としてはたいへん鼓舞される言葉だし、続く「わたしが意識しようとしまいと、ここには歴史的な力が働いていると、わたしは考えている」という言葉にはさらに同意する。(『ブルースだってただの唄』/p.312)"という箇所です。

 

・今年の良かったこと、登山にたくさん行けたこと。7〜8山くらい?かな。すべて同じ友達と行っているんだけど、いつもお互いに「健康になっていますね」「健康になっているのを感じます」「休みの日にこんな早起きをしてる時点でもう健康です」とか言い合いながら登ってる。また別の、共通の友人から先日"おにぎり柄"のハンカチを「みた瞬間に檸檬ちゃんぽいと思った」といただいた。次に山に登れたらおにぎり柄のハンカチを広げるんだ。


檸檬TMI。わたしがSpecialって単語を好んでいるのは『私はロランス』の影響で、いちばんって単語を好んでいるのは『カードキャプターさくら』の影響です。


・『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』の著者のひとりである中村香住さんが、ご自身が担当した章で"秋元(※秋元康)はアイドルの運営にあたり、環境設定と人物配置を決め込んだら、あとは自分も「観客」の一人だという体をとり、むしろその環境のなかでアイドルの側から立ち上がってくる、秋元にも予測不能な面白さをファンと一緒になって楽しむかのようなある意味「ズルい」スタンスをとってきた。(観客は演者の「キラめき」を生み出す存在たりうるのか /p.190)"と書いているのを読んで、中学生くらいから抱いてきた違和感が少しクリアになった気がしてうれしかった。喜ぶ内容ではないのだけれども。中学の時かな、恋愛報道が出た女性アイドルが丸坊主にして謝罪する映像を観たのがトラウマになってる。当時、秋元康は"恋愛禁止を強制していない"んですけどね という態度をとってた。傍観者になってしまう責任者ってなんなんだろ、無責任でグロテスクだと思う。わたしは乃木坂の生駒里奈さんが好きだったので、尚更『制服のマネキン』のような曲を権力を持つ男性が歌わせてる構図に耐えられなかった。アイドルと"恋愛"について、もっと議論されてほしい。この部分に関してだけでも長くなっちゃうから書ききれない。Twitter見てくださってる方はご存知の通り、紆余曲折を経て、最近はLDHアーティストの曲を聴いたり映像を観てる時間が増えてる(問題点も多く不信感も拭えないけど、うれしい気付きもたくさんなので新鮮な気持ち。家父長制の継続と再生産……と感じて頭を抱える部分もあるため、慎重に知っていくよう努めます)。でも、主に女性読者をターゲットにした雑誌類のインタビューでの「好きな女性のタイプは?」「好きな異性のファッションは?」といった質問の多さに疲れてしまう。そこに対して「アイドルじゃないんだから恋愛系の話もどんとんしてもいいよ」みたいなコメントがついてるのを見て、さらに分からなくなった。アイドルだから、と、アイドルじゃないから。


・春頃に読んだ『告発とよばれるものの周辺で』は、性被害者への聞き取りや支援をしているライターの小川たまかさんの著書。性犯罪の報道が出ると必ず「去勢したらいい」といった発言をする層が現れるけれど、被害者とその支援者達は"そう"は出来ない状況の中でどうにか法的に対応してもらうために努めているのだから、という一連の葛藤を読んで、反省した。わたしも同じような言い回しをとってしまったことがあるかもしれない。SNS特有の空気というか ミーム的な扱いというか そういうのがあるかもしれないけど、なるべく乗らないようにしたいんだよな。(別問題だから並べて書いてしまうのは微妙だけど、ネットの雰囲気で話したくないという話の繋がりで、)事務所とトラブルが起きてるアイドルをめぐって、一部ファン達が「みんなで一斉に○○(退所するメンバー)の会社に移籍しようよ」と言ってしまうの良くないのではと思って眺めてた。現実問題、それが可能なら既にそうする手筈を整えてると思ってしまうんですよ。連帯のための言葉が何かを 誰かを傷つけしまわないか、大切に迷っていたいよ。


・上間陽子さん×信田さよ子さんの対談集『言葉を失ったあとで』では加害者側のケアに関しても語られていたのですが、こちらも読んで良かったな。関係性を壊さないように家族間の被害/加害に向き合うにはどうしたらいいのか、という質問に対して"苦しみや重さを突きつけられたお母さんに対して、説明する言葉は用意しています。「自分のやったことの責任を取ってください」と言われることは、自分が責任を取れる人間として尊重されているからだという。(略)いまの理論にも通じて、死刑にしたらおしまいというのは、「このひとには、被害者の苦しみを味わう能力もないし、責任取る力もない」ということです。だから、国が殺しておしまいだと。加害者を馬鹿にした話です。"と答えた信田さんの言葉を反芻していたい。被害者側の声を聴き続けて言葉を残してくたさった上間さんの『裸足で逃げる』が大切だったからこそ、"被害者"は"加害者"が存在するから生まれる(本当は、加害がなければ被害は生まれないので逆なんだけど、司法の世界や世論の雰囲気を考える際には逆転してしまう)のなら「加害」の背景を知る努力は必要だなと痛感した。陰惨な事件が起きた時に「被害者にだって事情があったのだから〜、」と表現してしまったら加害の意味を軽くしてしまいそうで怖いけど、慎重に考えていられる立場でありたいですよ。来年こそは、機会あれば『プリズン・サークル』を観たい。


またぐちゃぐちゃと行ったり来たりする内容になっちゃったな。この辺で収めます。


友達の指先でキラキラ光ってた銀色のこと思い出すだけでしばらく頑張れるなと思う。うれしい瞬間あつめて、来年もそれなりにそれなりで大丈夫にいられるようにしたいですね。こんな長文をここまで読んでくださってありがとうございました、来年も気が向いたらたまに書きます。

檸檬日記*宝物になれなかった

日記に含めて書こうとしたけど、さすがに全体が長すぎて埋もれてしまうかなとも思ったので切り分けます(2022/09/05 追記:かなり長い日記と連投する形で載せたためこの謎書き出しになっていますが、流して大丈夫です)。出来る限り慎重にシンプルに文字にするよう努めますが、もし発言に不適切な部分があったらご指摘いただけますと幸いです。

 

わたしのツイート及びリツイートを見ていないひともいるかもしれないので念のため経緯を書きますね。

◆YG所属アイドルグループTREASUREの2周年お祝い配信にて"トゥメ(ファン)を「姫」と呼びデートに誘うコンセプト"の企画が組まれ、限定的な呼び方をしたため一部のファンに疎外感を与えてしまった。また、過去に撮影したウェブドラマ『大丈夫、友情だ』を振り返る場面で「男と男のロマンスコメディだからおかしい」という旨の発言をしたメンバーがいた。後日公開されたリプレイ動画では該当箇所が削除されていた。⇒"差別があった"ことを自覚しながらも、謝罪や今後の方針について公式な場で発信されないまま放置されている。という状況です。


"姫"呼びコンセプトについては、大切なひとに「お誕生日会をするからよかったら来てね」と言われたので会いに行ったら全員分の席が用意されていなくて、でも気付かなかったのかもしれないから「座れなかったひとがいるよ」と伝えたのに聞こえない振りをされてしまったような痛み。それくらいで、なんて言えるひとは元から席があるどころか他人のベッドに土足で登ってでも座るのかもしれませんねと思う。

(2022/09/05 追記:ひとの意見をあまりにも読めていない 読んでいないひとが多い印象を受けたので、なるべく分かりやすく……と思って比喩の形をとっていました。でも後から読み返して、少し意味を小さくしてしまったかもしれないなと反省した。「席」は「そのひとにとっての居場所」です。)


わたしは「差別的な発言」と「差別発言」には明確ではなくとも境目があると思っていますが、今回の件でメンバーが口にしたのは前後の文脈ありきだとしても差別発言でした。悪意は無かったのだから、と擁護するひとには「悪意が無く差別をしてしまったことの意味と背景については考えないのですか」と思う。まだ若い存在で間違えてしまうことだってあるのだから、と擁護するひとには「若ければ差別をしてしまっても無かったことにできるのですか」「間違えてしまうことはあり得ます、一度だって間違えずに誰に対しても差別したこと無い完璧な存在、という人間の方が稀なのではと思います。だからこそ間違えた時の対応は大切で、その後の進み方は間違えないよう尽力する必要があります」と思う。あと、若いから差別をしても仕方ない/大目に見てあげて という主張は本人に対してもかなり失礼だと思いますよ。学歴差別に関わる発言も散見され、パブサをしては擦り減るような思いでした。ドラマの制作前に、本人達に意思確認をしなかったのだろうか という疑問も残る。


他グループで少し近い議論が起きた時に発言できなかったことにずっと後ろめたさがあり、言えなかったわたしが今回だけ言うのは不誠実になるだろうか と言葉に迷っていたら時間が経ってしまった。多方面に申し訳ないです。瞬発力はないけれど、出来る範囲からひとつずつ出来たらと今は思う。


アップリンクの会員更新した数日後に告発があったこととかを思い出す。どんなに素晴らしい映画が上映されたとしても、パワハラが起きたアップリンクでは観れない。『はちどり』の上映が決まった時、裏切られてしまったような気持ちになり虚しかった。性暴力加害者である監督の特集を組んだ東京テアトルでも観れない。ホームレスやDV被害者を蔑視するような記事を出したピースオブケイクが運営するnote記事を読むのは今でも躊躇う、読みたいのに読めない記事がたくさんある。そういう気持ちと同一線上にある。とても大切で好きだな と思う存在がいるグループだけど、差別を放置して連鎖させているYGの中にいる姿をこの先も観るのが悲しい。綺麗な日の出を見せてあげたいくらい愛おしいなと思っているのに。


ちょうど宮地尚子さんの『傷を愛せるか』を読んでいる最中に起きた出来事だった。傷つかないでいられるのが理想だけど、難しいですね。誰かの痛みが傷として確かにそこに「あった」なら、それを「無かった」ことにはしないでほしい。作中で引用されていた台詞たちが特別だったので、続けて天童荒太さんの『包帯クラブ』も読んだ。読んでください。"人が受けた深い傷に、わたしたちができることは、ほとんどないように思う。でも、相手の沈む心を想いながら包帯を巻くことで、〈それは傷だと思うよ〉と名前をつけ、〈その傷は痛いでしょ〉と、いたわりを伝えることはできるかもしれない。どれだけの慰めになるかはわからない。(p.61/包帯クラブ)"


宝石、と訳されることが多いのは理解しているけどわたしは宝物がいいなぁと思って眺めてた。 FC会員の登録をした日には「宝物びとになった!うれしい!」と言ってた。悲しいな、宝物になりたかったのだけど。傷ついたひとがいても放置してOKとされる場所で見つける宝物って何なのか分からない。

(2022/09/05 追記:一部のファンによる二次加害が膨らみ続けていくのを見て、放置された差別は悪化していくのを実感しました。怒る対象が「事務所の不誠実」だけならまだ、みんなで一緒に少しずつでも良い方向に進めるよう頑張りましょうねと思えたけれど。K-POPはエンパワメント性とファンダムの連帯が賞賛される場面がたびたびある気がするけれど、何だか色々なことが分からなくなった。)