karaagetolemonのブログ

だいたい眠い

檸檬日記*20221224

「北海道出身だから秋服の概念が分からないんですよね、何を着てればいいんですか?」と言い続けて数年が経っているので、北海道出身とか関係なくただわたしが分からないだけなのかもしれません。同じ系統で言うと、わたしは「北海道出身で雪浴びてたから小雨くらいなら傘をさす必要を感じないんですよね、やがて乾くので……」とか言ってしまう。でもこの2年程は、"さすべきタイミングで傘をさせるようにする"が自分のちいさなテーマなので、なるべく折り畳み傘を持ち歩けるように頑張っている。そういうサイズ感の"頑張っている"がたくさんあって、毎日えらいね〜とわたしはわたしに対して思っています。来年は天気予報を確認できるようになる、を目標に追加したい檸檬です。秋服がわからないまま冬です、今年もそろそろ終わりに近づいていますね。


季節の挨拶をうまくできたことない。上記は季節の挨拶の代わりです。みなさまいかがお過ごしでしょうか。残しておきたいメモのような記憶の断片が積もってきたので、最近の出来事や感想をまた羅列します。時系列はバラバラですが、秋以降のことを。


・慣れない路線に乗ったら迷子になって大焦りしながら、THE BOYZのコンサートへ。め〜ちゃくちゃ良かった、やっぱり1人で行くと興奮や感動を即座にアウトプット出来ないので誰かと行くのがいいな……に着地する。今度は誰かと行きたい。声にしてアウトプット出来ず噛みしめ飲み込んでたから帰路のわたしは湯気出てたと思う。会場で流れる映像やMCを含め、全編通して「エリックも居るよ!」という意思を強く感じて、優しいチームだなと胸打たれていた。「THE B(ファン)のこと、歌うことと同じくらい好きだよ」と言ってくださるニューさんに対して、他メンバーが「僕はドビの方が好きだよ!」みたいに重ねて少しからかったけど(意地悪な感じではなく)、そこには乗らないところも良かったな。去年かな?自分達の成長の理由を聞かれた際に「100%僕たちの努力だ」と答えたら非難の声が集まったらしくて、それがずっと小骨みたいに引っかかってる。"ファンのおかげ"はもちろん、それもあるけど そのファンの心を掴んでゆくのは本人達の魅力と努力なのだからとわたしは思うので「あなたの努力ですよ」の気持ち。アイドル文化にちょっと疲れてきてたけど、THE BOYZの空気感を観たら「アイドルになってくれてありがとう」の気持ちに改めてなったり。MCの間、みんなから離れた場所でほぼひと言も喋らずに静かに休んでいるニューさんと、きっと本当は周囲に合わせてはしゃいでもいられるだろうけどニューさんの側にじっと座っていてくれるジェイコブさんの姿がとてもとても良くて。ありがとう……と念じながら寝た。皆さん穏やかに無理なく、居心地良く安心して過ごせますように、遠くからゆるやかに応援していますね。「(次に進んでも)大丈夫ですか?」と言ったソヌさんに「大丈夫じゃない!」と返すニューさんも、大丈夫じゃないからみんな少し待っていてくれるのも良かった。


・以前も何度か同じような内容を呟いてはいるけれど、アイドルの体型変化に対してオタク側が良くも悪くも言及するのがとても苦手。居心地の悪さを覚えます。好きな私服スタイルを問われた時に「〜こういう組み合わせをすると身体が大きく見えるので」みたいに答えていたひとや、デビュー期の自分のビジュアルには心残りがある 頬が痩せ過ぎてしまった という旨の発言をされていたひととか。そういう言葉が印象に残ってる。体質だってそれぞれなんだからね。少し前に、モナ・アワドの『ファットガールをめぐる13の物語』を読んだ。試着室から出られなくて、スタッフさんからの「お手伝いしますか?」に返事も出来ず追い込まれて汗だくになる"ファットガール"の心の揺れ方や孤独感、苛立ちに切なくなる。YouTubeSNSで骨格タイプやPCの印象が"ジャッジ"の材料や自虐要素にすり替えられている感じとかも、ずっと居心地が悪い。身体が誰かの視線や言葉によって捉われていくのは悲しい。KID FRESINO×NENE(ゆるふわギャング)の『Arcade』が大好き、人生ソングにしてる。"まじで周りばっか気にしてんじゃないよbitches 狭いここじゃlipple life 超tight 伝え目と声で白ティーノーブラ time is money 比べるやつstupid 自分の価値remember freedomが正解"ですからね。


・ことし読んだ漫画作品では、近藤聡乃さんの『A子さんの恋人』と冬野梅子さんの『まじめな会社員』が印象的でした。すごく好き、ひとが勧めてるものはちゃんと読もうと改めて思った。A太郎やあみこちゃんのこと、ずっと大切に想い続けるだろうな。A子さんの中で、麦茶を常備しているようなところが好きだった。まじめな会社員の中で、メールの文面を作る時になにをどのように考えて入力しているかの描写があって、リアル過ぎてしんどくもあったけど好きだった。そういえば、近藤さん作品を勧めてくれた友達にA子さんの感想を伝えた日の帰り、どんな流れでそうなったのかは思い出せないけど「コンクリート打ちっぱなしの建物をかっこいいと思ったのが先なのか、かっこいいと知ってからコンクリート打ちっぱなしをかっこいいと思ったのか分からないんだよ」って話になって頷きあったりしたの良い時間だったな。「センスがいい」って言葉をあまり軽々と言わないようにしてるんだけどね、センスが先にあったのか逆なのか分からないし何を持って"いい"のか……とか、そういう。物語そのものから少し離れて、抱いた感情とその周辺の記憶とかを共有できる相手いるの幸せ。来年はもう少し漫画作品も読みたいな。


・11月末は、TREASUREを観に北海道へ。久しぶりに札幌に行けてうれしい〜高校時代の3年間を過ごした街。道が広くてベンチとコインロッカーが多くて迷子になりにくくてごはんが美味しい、有り難い街。札幌だいすき。会ってみたかった初めましてのひとにも、なかなか会えなかったひと達にも会えて良かった。春頃から4ヶ月ほど観ていて チケットも慌てて取って遠征するぞ!と意気込むほど「す〜ごい好き!」になっていたところで、8月の件(メンバーによる差別発言⇒事務所の隠蔽⇒痛みを声にしたひとに対し、一部ファンが二次加害を繰り返す⇒事務所が放置、という最悪な流れの出来事)が起きて、悲しかった。8〜9月は浮き沈みが激しかった。でも好きになってしまったから、もうどうしたらいいんだ……になっていたし、その気持ちはいまもある。"対価を支払う"行為は賛同の意味も含むと思うから……とぐるぐる迷いながらも結局うまく割り切れずに過ごしていたけど、せめて一度は観たいやになったので観に行った。生バンド演奏で音がデカくて良かった、パフォーマンスにおける技術も華も空気の掴み方も素晴らしくって。だから尚更、まだ好きでいたかったよ〜……の気持ちで大泣き。わたしは、小4くらいの頃に読んだ梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』にある台詞「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」をずっと大切にしている。わたしはシロクマなのでいったん離れることにしますが、本当は「好きでいる」感情と「問題点から目を逸らさない」姿勢を両立できるのがよかった、の気持ちがいまも続いてる。折坂悠太さん×butajiさんの『トーチ』のことを考えながら寝た。わたしだけではないと思う、せめて考えることは辞めないようにしたい。


・札幌の話のつづき。15歳の頃からずっとお互い大切に想い合っている、大好きな子と久しぶりに会えた。𝑳𝑶𝑽𝑬……。夜ごはんを食べて、次の日のモーニングも一緒に食べたの。わたしが爪を金色に塗っていたのを見て、翌朝にはわざわざ爪の色を銀色に塗り直して会いに来てくれたりして……苦しいくらいにキュンとする。人生、友情よりも恋愛の方が立派で意味のあるものように扱われることが多くて腹が立つんだけどね、やっぱり、改めて腹が立つ。あの子の指先の銀色がどんなに愛しいものか分からないでしょうね と思う。お互いに大丈夫でいようね、と伝え合う関係。そういえば、我らがDIVA・ゆっきゅんが最近始めたポッドキャスト『なんかドリンクバー5時間目』が最高なんですけどね、特に「#5 友情DIVA……」回が好きだった。クィアな存在にとっても"自分の曲"として疎外感を抱くことなく聴いていられるから嬉しい、というファンからの意見を受けて「なるほどなと思う」と(わかる、とかではなく「なるほどな」と言うところも好きだった)。J-POPだと恋愛の曲が多いから友情の曲はすごく貴重だ、というコメントをもらった時のことを「気付いた、気付いたんですよ。自分は血眼で、無意識で血眼で、歌姫とかの歌でも友情とかを歌ってる歌を好んで聴いてきたなって、気付かされて」と振り返っていたのも好き。友情の曲として柴田聡子の『スプライト・フォー・ユー』を紹介していたのでほろほろ泣いてしまったよ。無意識で血眼で探している感覚、身に覚えがある。エンタメが"大衆性"を持てるのなら、やっぱり"数"として、拡散力を持ってる存在して、ちゃんと見える形になっていくため側に立ってほしいんですよね。


・いっそひと思いに、直近の聴きにいったものの話をまとめてみようかな。これだけで長い。Twitterに感想とかさ、何だか書きにくくなっちゃったので……。11/30はjoan日本公演に駆け込んだ。念願です、来てくれて本当にありがとう。1曲目のsomething specialから、客席みんなが"I know we got something special "と口ずさんでニコニコしている光景をみて胸いっぱになり大泣き。友人関係から恋心に変化する戸惑いとかを含めて歌ってくれるひとがいるのうれしいんですよね。その関係がなんであったとしても"I know we got something special "って言われたいですね。めちゃくちゃ良いライブだったので、代官山の夜道をおえおえ言いながら泣いて歩いてた。/12/1は小山田壮平さんのワンマンへ。仕事終わりにダッシュして向かってみたものの間に合わず、途中からの参加になった。会場に着いた時に始まったのが『16』だったので、席に着く頃にはもう泣きべそかいてた。人生でいちばん大事な曲なので。松居大悟監督の『自分のことばかりで情けなくなるよ』を思い出す瞬間だったな。「僕のつくる曲は、意味のないような歌詞なことが多いけど、実は意味がある場合もあるんですよ」と前置いてから、珍しく歌詞について教えてくださる場面があって愛おしかった。意味がなく聴こえてもよしとする空気感に安心する。/12/4 カネコアヤノさんのBLUE NOTE公演に、友人とふたりで。普段はジャズを演っているような会場ということもあり、ちょっぴり背伸びしたくなっちゃう緊張感もあってそれもまた良かった。「もうだめだ」と思うほど決定的に好きになったきっかけの曲でもある『やさしい生活』を聴けて、心底うれしかった。「もう少し大丈夫になったら、」と少し先の日々を想う歌。2022年のいま聴くと、意味がほどけて変化していくようだった。『栄えた街の』がよすがに収録されたこと、宝物な出来事ですよと改めて思う。普遍的なところを好いてきたしそれは変わらないけど「今年はもうきっと何処へも行けない」から始まる曲が出来たことで、時間軸がうまれた気がしてうれしかったんですよね。君と旅行に行ったりしたいよね。/12/12には、ゆうらん船×BROTHER SUN SISTER MOONのツーマンを観に新代田FEVERに行った。久しぶりのFEVER!コロナ禍前さいごに行ったライブもここだったな(GEZANのマヒトゥさん×Have a Nice Day!の浅見さんツーマン)。昨年末からたくさん慰められてきた、大切なポッドキャスト『Call If You Need Me』のホストのひとりが、BROTHER SUN SISTER MOONの恵さん。恵さんは『99%のためのフェミニズム宣言』の和訳を担当されている翻訳者さんでもあるので、言葉を信頼している存在です。Call〜でも「恋愛の曲が多過ぎる」って話題があって安心してた。その時に、恵さんが「たくさんの感情の中のひとつ」として描くことはあるけど、"主題"を恋愛にしようと意識したことはないとおっしゃっていて。身を委ねられる音楽があるのは支えだな〜と思いながら帰った。ゆうらん船のことは、ほどよい距離で年に数回は聴きに行けてる。大好き。この日は演奏されなかったけど「まだまだ涙は続くよね」とか「最近どうにも涙」みたいなことを歌い続けてくださっていて。身体のこわばっている部分を少しずつ柔らかくしてもらえるような音楽。BROTHER SUN SISTER MOONのメンバーがゆうらん船の音楽を「水みたいな音楽、染み染みに入っていく感じ」と表現していて心の中でハグした。………長いな、いったんここまで(12/19時点)。いつまでもライブハウスが大好きよ。


K-POPを聴くようになってから、元から好んでいた音楽とは異なる部分を楽しんでいるけど違和感にのまれて疲れちゃうこともある。直近だとLDHも聴いてるので、やっぱりどうしても歌詞の意味を頭で追えると倍で悩んでしまう。自動ドアに反応されなくて悲しい〜とか、自動改札機に引っかかる時の音もっと優しいのに変えてほしい〜とか、PayPayの音が鳴るの恥ずかしくて耐えられない〜とか、もっといろいろあるじゃんねと思っちゃう。歌詞を意識せずにいられたらいいのだけど、と友人に相談していた時に「それでも、(歌詞が)言葉として存在しているなら、言葉はちゃんと大事にされてほしいよ」と返してもらえてうれしかった。言葉として存在しているなら大事にされてほしいの、同感です。どうでもいいこと言っててくれるのもうれしい。Olivia Rodrigo『good 4 u』のカバー映像を出したP1Harmonyが、歌詞に含まれる"girl"など性別を特定する単語を"one"や"love"に置き換えていたこと、ずっと大切。


・藤高和輝さんが『〈トラブル〉としてのフェミニズム-「とり乱させない抑圧」に抗して』の中で引用していた、竹村和子さんの言葉が印象に残ってる。"翻訳をとおしてわたしたちは、二つの言語の「あいだ」に身を置き、両者の還元不可能な非連続に身を晒して、そうして、各々の言語の内的非連続-言語の暴力と苦悩-に対峙していくのではないかと思います。(『境界を撹乱する-性・生・暴力』/394)" と。異なる言語を挟んだ場面じゃなくても、誰かの言葉や考えを100%で分かるなんてことほとんどあり得ないと思っているので。少し前に読んだ斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』も素晴らしかった。わたしは翻訳家さんが書く文章への憧れがあります。あと今年は、読もう読もうと言い続けて先延ばしにしてきた藤本和子さんの『塩を食う女たち』をようやく読めたのも良かったな。例えば、差別を批判するために(それが善意からくる発言なのだとしても)「肌の色くらいで、」みたいな表現をマジョリティの立場がとってしまうと、実際に存在している差別を矮小化させてしまうのではないかとかそういうことを考えてた。……今年はゆっくり少しずつだけどいい並びで読書が出来た。わーい、偉い。80年代のアメリカで、黒人女性を対象に聞き取りをしてきた藤本和子さんの『ブルースだってただの唄』を読んだのは昨年ですが、解説(※ちくま文庫版)は斎藤真理子さんが担当されてたんですよね。その繋がりも大好き。特に好きだったのは"なぜヘブライ語を?という誰もが持ちそうな質問に対して、藤本さんは「その行為を個人的な行きがかりや動機だけで説明しようとするのは、わたしにはあまり役に立つことだとは思えない」とはっきり言っていて、これは「なぜ韓国語(朝鮮語)を?」としょっちゅう聞かれる私としてはたいへん鼓舞される言葉だし、続く「わたしが意識しようとしまいと、ここには歴史的な力が働いていると、わたしは考えている」という言葉にはさらに同意する。(『ブルースだってただの唄』/p.312)"という箇所です。

 

・今年の良かったこと、登山にたくさん行けたこと。7〜8山くらい?かな。すべて同じ友達と行っているんだけど、いつもお互いに「健康になっていますね」「健康になっているのを感じます」「休みの日にこんな早起きをしてる時点でもう健康です」とか言い合いながら登ってる。また別の、共通の友人から先日"おにぎり柄"のハンカチを「みた瞬間に檸檬ちゃんぽいと思った」といただいた。次に山に登れたらおにぎり柄のハンカチを広げるんだ。


檸檬TMI。わたしがSpecialって単語を好んでいるのは『私はロランス』の影響で、いちばんって単語を好んでいるのは『カードキャプターさくら』の影響です。


・『アイドルについて葛藤しながら考えてみた ジェンダー/パーソナリティ/〈推し〉』の著者のひとりである中村香住さんが、ご自身が担当した章で"秋元(※秋元康)はアイドルの運営にあたり、環境設定と人物配置を決め込んだら、あとは自分も「観客」の一人だという体をとり、むしろその環境のなかでアイドルの側から立ち上がってくる、秋元にも予測不能な面白さをファンと一緒になって楽しむかのようなある意味「ズルい」スタンスをとってきた。(観客は演者の「キラめき」を生み出す存在たりうるのか /p.190)"と書いているのを読んで、中学生くらいから抱いてきた違和感が少しクリアになった気がしてうれしかった。喜ぶ内容ではないのだけれども。中学の時かな、恋愛報道が出た女性アイドルが丸坊主にして謝罪する映像を観たのがトラウマになってる。当時、秋元康は"恋愛禁止を強制していない"んですけどね という態度をとってた。傍観者になってしまう責任者ってなんなんだろ、無責任でグロテスクだと思う。わたしは乃木坂の生駒里奈さんが好きだったので、尚更『制服のマネキン』のような曲を権力を持つ男性が歌わせてる構図に耐えられなかった。アイドルと"恋愛"について、もっと議論されてほしい。この部分に関してだけでも長くなっちゃうから書ききれない。Twitter見てくださってる方はご存知の通り、紆余曲折を経て、最近はLDHアーティストの曲を聴いたり映像を観てる時間が増えてる(問題点も多く不信感も拭えないけど、うれしい気付きもたくさんなので新鮮な気持ち。家父長制の継続と再生産……と感じて頭を抱える部分もあるため、慎重に知っていくよう努めます)。でも、主に女性読者をターゲットにした雑誌類のインタビューでの「好きな女性のタイプは?」「好きな異性のファッションは?」といった質問の多さに疲れてしまう。そこに対して「アイドルじゃないんだから恋愛系の話もどんとんしてもいいよ」みたいなコメントがついてるのを見て、さらに分からなくなった。アイドルだから、と、アイドルじゃないから。


・春頃に読んだ『告発とよばれるものの周辺で』は、性被害者への聞き取りや支援をしているライターの小川たまかさんの著書。性犯罪の報道が出ると必ず「去勢したらいい」といった発言をする層が現れるけれど、被害者とその支援者達は"そう"は出来ない状況の中でどうにか法的に対応してもらうために努めているのだから、という一連の葛藤を読んで、反省した。わたしも同じような言い回しをとってしまったことがあるかもしれない。SNS特有の空気というか ミーム的な扱いというか そういうのがあるかもしれないけど、なるべく乗らないようにしたいんだよな。(別問題だから並べて書いてしまうのは微妙だけど、ネットの雰囲気で話したくないという話の繋がりで、)事務所とトラブルが起きてるアイドルをめぐって、一部ファン達が「みんなで一斉に○○(退所するメンバー)の会社に移籍しようよ」と言ってしまうの良くないのではと思って眺めてた。現実問題、それが可能なら既にそうする手筈を整えてると思ってしまうんですよ。連帯のための言葉が何かを 誰かを傷つけしまわないか、大切に迷っていたいよ。


・上間陽子さん×信田さよ子さんの対談集『言葉を失ったあとで』では加害者側のケアに関しても語られていたのですが、こちらも読んで良かったな。関係性を壊さないように家族間の被害/加害に向き合うにはどうしたらいいのか、という質問に対して"苦しみや重さを突きつけられたお母さんに対して、説明する言葉は用意しています。「自分のやったことの責任を取ってください」と言われることは、自分が責任を取れる人間として尊重されているからだという。(略)いまの理論にも通じて、死刑にしたらおしまいというのは、「このひとには、被害者の苦しみを味わう能力もないし、責任取る力もない」ということです。だから、国が殺しておしまいだと。加害者を馬鹿にした話です。"と答えた信田さんの言葉を反芻していたい。被害者側の声を聴き続けて言葉を残してくたさった上間さんの『裸足で逃げる』が大切だったからこそ、"被害者"は"加害者"が存在するから生まれる(本当は、加害がなければ被害は生まれないので逆なんだけど、司法の世界や世論の雰囲気を考える際には逆転してしまう)のなら「加害」の背景を知る努力は必要だなと痛感した。陰惨な事件が起きた時に「被害者にだって事情があったのだから〜、」と表現してしまったら加害の意味を軽くしてしまいそうで怖いけど、慎重に考えていられる立場でありたいですよ。来年こそは、機会あれば『プリズン・サークル』を観たい。


またぐちゃぐちゃと行ったり来たりする内容になっちゃったな。この辺で収めます。


友達の指先でキラキラ光ってた銀色のこと思い出すだけでしばらく頑張れるなと思う。うれしい瞬間あつめて、来年もそれなりにそれなりで大丈夫にいられるようにしたいですね。こんな長文をここまで読んでくださってありがとうございました、来年も気が向いたらたまに書きます。